広島の浄土真宗本願寺派 栢原山龍仙寺/納骨堂(永代に渡ってお守りいたします)

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正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【28】

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正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【28】

道綽決聖道難証
唯明浄土可通入

道綽(どうしやく)、聖道(しようどう)の証(しよう)し難きことを決して、
ただ浄土の通入(つうにゆう)すべきことを明かす

(意訳)
道綽禅師(どうしやくぜんじ) あきらかに
聖道(しようどう)浄土(じようど)の 門(かど)わかち

※聖道… 聖道門(しようどうもん)。自力でさとりをひらくことによって、生死の苦をこえる教え。
浄土… 浄土門。他力によって浄土に往生することによって、生死の苦をこえる教え。

【正信念仏偈28】~道綽禅師(どうしやくぜんじ)の教え①~

曇鸞大師(どんらんだいし)がご往生されて二十年後、七高僧の第四祖となる道綽禅師(どうしやくぜんじ)が誕生されました。五六二年、中国に末法思想(まつぽうしそう)が広がっている時代でした。末法思想とは、お釈迦さまが入滅されてから、時代を経るごとに、仏法が衰滅していくという思想です。これは経典にもとづきつつ、くわえて戦乱や飢饉など過酷な歴史的背景のなかで生まれた思想です。また禅師が十二才のときには、北周の武帝(ぶてい)による大規模な仏教弾圧があり、何百万の僧尼が還俗させられ、あまたの寺院が打ち壊されました。世はまさに、末法のありさまだったでしょう。そのような時代に道綽禅師(どうしやくぜんじ)は誕生し、十四才で出家されました。はじめ『涅槃経』(ねはんきよう)の教えや、心をしずめる禅定(ぜんじよう)の行を修められていましたが、四十八歳のとき、石壁(せきへき)の玄中寺(げんちゆうじ)において曇鸞大師(どんらんだいし)の碑文に出遇い、浄土の教えに帰依されました。かの高徳な曇鸞大師(どんらんだいし)ですら、ひとえに浄土を願い、念仏の道に入られていた…。そのことを知った道綽禅師(どうしやくぜんじ)は、日々七万遍の念仏を称え、生涯のなかで『観経』を二百遍も講じられたといいます。そして六四五年、八十四才でご往生されました。

道綽禅師(どうしやくぜんじ)の大きなご功績は、仏教のなかに二つの道があることを明かされたことです。聖道門(しようどうもん)と浄土門(じようどもん)です。聖道門(しようどうもん)とは、煩悩を断ちきり、この世において悟りをひらく教え。そして浄土門とは、阿弥陀仏の浄土に生れ、彼の土において悟りをひらく教えだと禅師は示されました。そのうえで、末法の時代の凡夫には、もはや聖道門を歩むことはできないとされ、ひとえに浄土門を勧められました。

聖道門(しようどうもん)は深い真理を説いているけれど、末法の凡夫には、それを理解する能力がない。しかし浄土門(じようどもん)は、その末世に生きる私たち凡夫のためにこそ、開かれている教えなのだと。これは、道綽禅師みずからの求道のはてに、たどりつかれた結論であったのでしょう。

去年、当時一才になったばかりの娘が嘔吐下痢性にかかったときのことです。
いま思い出してもいたたまれない思いになりますが、何を口に入れてもはげしくもどすので、食べ物もはおろか、お乳もあげられません。水分をとると胃液ごともどしてかえって脱水症状を起こしてしまうので、お水すらあげられない状態でした。まだ一才の娘は、なぜお乳をもらえないのか分かりません。けいんめいに「ぱいぱいー」と若坊守にうったえ、「ちゃっちゃー」と泣きながら、からっぽのマグをにぎりしめて離しません。
若坊守は一晩中、「ごめんね、あげられんのんよ…」と、涙を浮かべながら抱っこしていました。何度も心折れて、お乳をあげそうになったと言っていました。それでも、あげられないのですね。娘の願いにこたえることが、娘をより一層苦しめていくことになることが、わかっているからです。若坊守はけっきょく一晩中だっこしながら、「おかあさん、ここにおるよ」と声をかけ続けていました。

どうしたら苦しみを超えていけるのか、何を願えばいいのか。それすら分からない、小さな弱いいのち。そういういのちにこそ、届いているぬくもりがあることを、気づかせてもらいました。

道綽(どうしやく)、聖道(しようどう)の証(しよう)し難きことを決して、
ただ浄土の通入(つうにゆう)すべきことを明かす。

煩悩を断ちきって悟りをひらく聖道門(しようどうもん)は、尊い教えに違いありません。しかし、煩悩を抱え、もがきながら生きるほかない凡夫は、いったいどうすればよいのでしょうか。道綽禅師(どうしやくぜんじ)は、仏法には浄土門という、もう一つの道があることを明らかにされました。どうすれば生きることの苦しみをこえられるのか、本当に願うべきことは何なのか、どこに行こうとしているのか。それすらわからない凡夫のために、開かれている道があるのだと。

ともに、お聴聞いたしましょう。末法の凡夫のために、開かれている道がある。わたしが歩ませていただける道が、あるのです。

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