広島の浄土真宗本願寺派 栢原山龍仙寺/納骨堂(永代に渡ってお守りいたします)

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正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【22】

正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【22】

帰入功徳大宝海
必獲入大会衆数

功徳大宝海(くどくだいほうかい)に帰入(きにゆう)すれば
必ず大会衆(だいえしゆ)の数に入(い)ることを獲(う)。

(意訳)
ほとけのみ名に帰してこそ
浄土の聖衆(ひと)のかずに入(い)れ

【正信念仏偈22】~天親菩薩(てんじんぼさつ)の教え③~

天親菩薩は「南无阿弥陀仏」を「功徳の大宝海」とたたえられました。阿弥陀さまのみ名には、仏さまのすべての徳が、欠くるところなく具わっているといわれたのですね。そして、このみ名をいただく念仏者は「大会衆(だいえしゆ)」のなかに入るのだと言われました。
「大会衆」とは、もともとは、お浄土において阿弥陀さまのご説法を直接にお聴聞されている聖者(しようじや)がたのことをいいます。しかし親鸞さまは天親菩薩のみ教えにより、その言葉を念仏者に用いられました。お念仏をいただいているものは、たとえその身は娑婆にあろうとも、阿弥陀さまの仰せをじかに聞いている人と等しいのだと言われたのです。これはいったい、どういうことでしょうか。

昨年のことですが、いま保育園に通っている娘の、はじめての発表会がありました。会場は町内でいちばん大きなホールでしたが、入ってみると、人人人人・・ぎっしりです。おそらく六〇〇人以上おられたでしょう。お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんたちが、愛しい子や孫の晴れ舞台を見守るために集まっておられました。その数に圧倒されながらも、どきどきしながら、一歳の娘が入っている「ひよこ組」さんの出番を待ちました。
「さあ次は、ひよこ組の子どもたちによる、『こっちむいてうさぎさん』です♪」
いよいよ、出番がきました!おもむろに緞帳があがると、ひよこ組さんたちが、ピンクや水色のかわいい衣装で、舞台に並んでいます。カメラをかまえつつ懸命に娘をさがすと、娘はまんなかで先生にだっこしてもらっていました。ところが、どうでしょう。あの娘の不安に手足がはえたような、おびえきった表情は…。
考えてみれば、子どもにとっては、本当にたまらないことだったでしょう。何もわからないまま、早朝に大きなホールにつれてこられ、慣れない衣装を着せられ、板の間の上にあげられて。そして、とつぜん緞帳が上がると目の前に六〇〇人もの人がいて、怒涛の拍手と強烈なスポットライト…。
人間はほんとうに、開いた口がふさがらなくなるのですね。かわいそうに娘は、アゴがはずれんばかりに口をあけて、小さい手で、ただただ客席を指さしていました。あの娘の表情は、今おもい出しても胸が苦しくなります。気がつけば、ただただ全力で、娘に向かって手をふっている若坊守とわたしがいました。

(― おかあさん、ここにおるよ! ―)

(― おとうさん、ここにおるよ! ―)

娘もこちらに気づき、けんめいに手をふってくれています。本当は手をふるのではなく「こっちむいてうさぎさん♪」を踊らないといけなかったのですが、それでも何百人もいる会場のなかで、ほんとうによく気づいてくれました。その姿が、何よりもうれしかったです。
ふと周りを見わたすと、ほかの親御さんもみんな同じように手をふっておられました。やはり、わが子を思う親の願いは、ここに極まるのだなあ…と気付かされました。 右も左もわからないまま大きな舞台にあげられて、両目にいっぱい涙をうかべながら、それでも懸命に、何ごとかをなそうとしているわが子。そんなわが子を見つめる親の心は、やはりたった一つ。あなたの親がここにいる、どうか願いだから、そのことに気づいておくれ・・。このほかに親の願いはないのですね。そして、いのちのみ親、阿弥陀さまのみ心も、おなじだったのではないでしょうか。

かしこそうな顔をして、大丈夫そうな顔をして生きている私たちです。とくに現代は情報化社会などと言われ、膨大は知識を日々たくわえながら、生活しています。しかし、ではあなたのいのち、いったいどこへ行こうとしているのですか?何のために生まれてきたのですか?いまどこに立っているのですか?・・・いのちの問いに一たびさらされてみれば、本当に何もわからないまま、今日もまた投げ出されたように生きているわたしが、ここにいます。
いつのまにか娑婆という舞台にあがっており、気づいたら幕が上がっていました。いつ下りてくるのかもわかりません。それでも、帰ることも、とどまることも、許されません。みんないっぱいの涙を胸のなかにためながら、生きていかねばならないのです。しかし、その苦悩の凡夫を、大悲のまなざしのなかに見いだされた阿弥陀さまは、そのおさとりのすべてをかけて、親の名のりをあげてくださいました。それがこの口にいただいている、「南无阿弥陀仏」という仏さまのみ名だったのですね。

(― 汝をもらさぬ親がここにいる ―)

苦悩の凡夫のために、如来さまが大悲の名のりをあげてくださっている。お念仏をいただいているということは、いのちのみ親の全力の喚び声を、じかに聞かせてもらっていることでした。だからこそ天親菩薩は、お念仏申すものは「大会衆」のなかに入るのだと、説かれていたのですね。

功徳大宝海(くどくだいほうかい)に帰入(きにゆう)すれば
必ず大会衆(だいえしゆ)の数に入(い)ることを獲(う)。

ともにお念仏いただきましょう。苦悩の凡夫をすくわんがために、如来大悲の喚び声が、今ここに、届いてくださっています。

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