正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【42】
必弥陀成仏(みだじようぶつ)のこのかたは
いまに十劫(じつこう)をへたまへり
法身(ほつしん)の光輪(こうりん)きはもなく
世(せ)の盲冥(もうみよう)をてらすなり
(浄土和讃)
【正信念仏偈42】 ~ご和讃のこころ~
浄土真宗では「正信念仏偈」に親鸞さまの「和讃」を添えて日常のお勤めとしています。これは蓮如上人が、僧侶も在家者も同じように仏法を仰いで日々のお勤めができるようにはじめられたものです。一茶の俳句にも
「すずしやな 弥陀成仏の このかたは」
とありますが、この一句は日々の生活のなかにこそ生きる仏教として、親鸞さまの教えの特徴を、ありありととらえています。
今回からは、「正信偈」に添えられる和讃のなかで、もっとも知られた六首を味わっていきます。
弥陀成仏(みだじようぶつ)のこのかたは
いまに十劫(じつこう)をへたまへり
法身(ほつしん)の光輪(こうりん)きはもなく
世(せ)の盲冥(もうみよう)をてらすなり
まず一首目ですが、これは『讃阿弥陀仏偈和讃』四八首の第一首目であり、一茶の耳に「すずしやな」と聞こえたのもこの和讃ですね。
『無量寿経』には、阿弥陀さまは苦悩の衆生を一人もらさず救うために、五劫のあいだ思惟し、兆載永劫の修行をされた果てに、ついに悟りを開かれた仏であることが説かれています。そして、阿弥陀さまが仏となってから今にいたるまで十劫ものときを経ていると説かれています。親鸞さまは、この経文のこころをご和讃にされました。ただし、これは単に阿弥陀さまが遠い昔に仏となったという話ではありません。
「むかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり。(唯信証文意)」
親鸞さまは「他力」とは「待つ」というこころなのだと仰っています。いまも同じでしょう。阿弥陀さまが仏となられて十劫もの時を経ている。それは、はてなき時をかけて、わたしを待ちぬいてくださっていたということです。遇いがたいものに遇いえたその感動を、親鸞さまはご和讃に詠まれたのですね。
むかし武田達爾という布教使の先生のところに、一人の住職さんが相談に来られました。
「先生聞いてください。息子が帰ってこのです。私は息子が大学を出て帰るまではと頑張ってきましたが、息子が大学でたら東京行く言いだしまして。どう言うても聞かず、とうとう行ってしまいました。もう十年になります。いまだに帰ってくる素振りもありません。先生、私はどうしたらええでしょうか…。」
「ほうかほうか。子どもは親の言う通りにはならん。親の通りになる。蛙の子は蛙よのう」
先生はチクっと刺しつつ、続けられました。
「待っとれ…」
「先生、私はもう十年も待っとるんです」
「十年でも、二十年でも、待っとれ」
「先生、私ももう歳とってしまいまして」
「歳とっても、待っとれ…」
「先生、私が死んだらどうなるんですか!」
「死んでも、待っとれ…」
とうとう、何も言い返せなくなった住職さんに、先生がやさしく静かに、仰いました。
「言うこときかんいうて、あんたにその子が見捨てられるかの?見捨てらりゃあせんよ。やっぱり待っとるよのう。…あんたはお坊さんじゃろう。阿弥陀さまは十劫のむかしから、待ちつづけてくださっておったのう。そのお慈悲に、いま遇わせてもろうとるあんたがその子にしてやれるんは、やっぱり、待つより以外ないよのう。あんたが生きとるうちに間に合うか、間に合わんか、分からん。じゃが、必らずくるんじゃ。親の思いを思い知るときが、その子にもきっとくるんじゃ。お慈悲の道は一方通行、かえり道はありゃあせん。待つよりほかに、親の仕事はなかったよのう。」
阿弥陀さまは果てなき時をかけて、待ってくださっていた。苦悩の凡夫を待ってくださっている親さまがいらっしゃった。その一事を、このご和讃は伝えてくださっています。