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正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【4】

正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【4】


   五劫思惟之摂受
    重誓名声聞十方

    五劫(ごこう)これを思惟(しゆい)して摂受(しようじゆ)す
    重ねて誓うらくは名声(みようしよう)十方に聞こえんと

(意訳)
ながき思惟の時へてぞ
この願えらび取りませり
かさねてさらに誓うらく
わが名よひろく聞こえかし

【正信念仏偈4】~すべてを転ずる一声~

どうすれば一人ももらさず、すべてのものを生死の苦から救うことができるのか…。法蔵菩薩は五劫というはてしない時をかけて考えつづけ、ついに四十八の誓願をたてられました。さらに、その願いのかなめを三つの誓いとして、重ねて誓われました。「我建超世願…」ではじまる『重誓偈』がこれですね。

一、私はこのうえない悟りをひらこう
 二、私はすべてのものに安らぎを施そう
 三、私の名をすべてのものに聞かせよう

法蔵菩薩はまず、この上ない仏のさとりをひらこうと誓われました。それは何のためか。他でもありません。苦しみ悩むすべてのものに、本当の安らぎを与えるためでした。我が子が泣いているかぎり、お母さんの安らぎはありえません。ちょうどそのように、苦しみ悩みながら生きている私たちを離れて、仏のさとりはありえないのでした。では、具体的にどのようにすれば、それが実現できるのか。それが第三の誓い、わが名をとどけ聞かせようという誓願でした。今回のお正信偈の文は、このお心を、親鸞さまが讃嘆されたものです。

ながき思惟の時へてぞ
  この願えらび取りませり
  かさねてさらに誓うらく
  わが名よひろく聞こえかし (意訳)

この法蔵菩薩の五劫の思惟の結論こそが、いま私たちがいただいている「南无阿弥陀仏」という一声一声の御名だったのです。ではなぜ、法蔵菩薩は「わが名を聞かせよう」と誓われたのでしょうか。私たちはみな、「ああなったら…こうなったら…」とさまざまな幸せのかたちを追い求めています。ですから、菩薩が五劫も思惟されるのであるならば、もっと他のことを誓ってくださったら…などと、つい不遜なことを思ってしまいます。しかし、法蔵菩薩が私のために出された結論は、この一声の名を、私たちに届けることだったのです。それはなぜでしょうか。
先日、若坊守からこんな話を聞きました。五月のある日、幼稚園からものすごい大きな泣き声が聞こえてきたそうです。
「せんせー!おしっこもれたあー!」 かわいそうに、男の子がお漏らしをしてしまったようです。しかし、駆けつけてこられた先生が仰ったそうです。
「○○くん、よかったねー!幼稚園でおしっこできたね!」 この先生の一言は、本当にすごい一声ですね。この一声で、その子の世界はすべて変わったのではないでしょうか。その子はおそらく年少さんだったのでしょう。入園してまもなく、初めてお母さんと離れて過ごす園での生活。なかなか慣れることができなかったのでしょう。どうしても幼稚園でおしっこができない。そしてとうとう、おもらしをしてしまったのですね。私だったらきっと、「だいじょうぶだよ」と慰めていたと思います。しかしそれでは、その子の悲しみは何も変わらなかったでしょう。むしろ、やっぱりいけないことをしてしまったんだ…と、さらに自分を責め、ますますおしっこができなくなっていたかもしれません。しかしその先生が発した一声は、まったく観点が異なっていました。
「よかったね、幼稚園でおしっこできて!」
きっとその先生は、本当に心からよろこびながらそう仰ったのでしょう。その一声は、その子のすがたを見つめつつも、その子が思いもよらなかった世界をひらいていたでしょう。その一声で、すべてが変わる。そんな言葉があるのですね。お念仏も同じですね。  この六字の御名は、私が受けいれようもない私の姿をすべて見つめつつ、私が思いもよらない世界をひらいてくださっています。
「南无阿弥陀仏-さわりなくすくう-」
ともどもに、お念仏いただきましょう。煩悩具足の凡夫のすべてを見つめつつ、それを抱いてあまりあるぬくもり。私の生きる意味をも変えてくださる一声が、届いています。

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