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正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【3】

正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【3】


   五劫思惟之摂受
    重誓名声聞十方

    五劫(ごこう)これを思惟(しゆい)して摂受(しようじゆ)す
    重ねて誓うらくは名声(みようしよう)十方に聞こえんと

(意訳)
ながき思惟の時へてぞ
この願えらび取りませり
かさねてさらに誓うらく
わが名よひろく聞こえかし

【正信念仏偈3】~思惟のはてに~

四十里四方の大岩を三年に一度、天人が降りてきて羽衣の袖で一度なでる。それを果てしなくくりかえして、その大岩がすり減ってなくなる時間。そのような想像をはるかに超える長い時間を「劫」といいます。法蔵菩薩はその五倍、五劫ものあいだ思惟しつづけ、ついに、いかなる仏さま方も発されたことのない、希有の誓願を建てられたとお経には説かれています。それはひとえに、どうすれば煩悩具足の凡夫を救えるのか・・という一点にありました。では法蔵菩薩を五劫も悩ませた煩悩具足の凡夫とは、いったいどのような存在でしょうか。
「煩悩」とは煩い悩ませるもの、あらゆる苦悩の因です。そして「具足」とは、すべてそなえていること。ですから煩悩具足の凡夫とは、あらゆる煩悩をかかえ、苦しみ悩みながらでしか生きられない者ということです。それはけっして肯定できるような言葉ではありません。若い学生たちからも、しばしば、「煩悩がなかったら面白味がないのでは?」という言葉を聞いたりします。しかしそれは、「苦しみがなければ面白味がないのでは?」と言っているに等しいことになるでしょう。考えてみると、私たちはあまりにも煩悩という言葉の意味に鈍感なのかもしれませんね。愛するものとの別れを、老病死の苦悩を、いったい誰が〝面白味〟として受けとめることができるでしょうか。煩悩をかかえて生きるとは、そういうことなのでした。だからこそ、法蔵菩薩が仰がれた諸々の仏がたは、みな、どうすれば煩悩を断ちきって、苦を滅することができるかを説かれていたのでした。しかし法蔵菩薩の眼のなかには、それら諸仏のみ教えではどうしても間にあわないものが見つめられていました。煩悩をかかえてしか、苦しみ悩みながらでしか生きられないものは、どうすれば救われるのか。ここにこそ、法蔵菩薩が五劫も思惟された理由がありました。
ウィトゲンシュタインという哲学者は、次のような言葉を残しています。 「この世の苦難を避けることができないというのに、そもそもいかにして、人はしあわせになりえるのであろうか。」
この言葉のすごいところは、決して悲観的な意味ではなく、まったく反対の文脈で語られているところです。生きることは苦しい、それなのになぜ、人はしあわせになりえるのか。どんな苦難のなかにあっても、人がしあわせになりえるのはなぜなのだろう!この哲学者は、生きるという営みの尊さに驚嘆しているのです。もちろん仏教とは関係のない文脈とは思いますが、私はこの言葉に出遇ったとき、煩悩具足の凡夫が救われるとはどういうことかを、あらためて、深くうなづかされました。
ふつうに考えれば、救いとは苦難をとりのぞくことでしょう。生命の危機から人を救う。病根をつきとめ、健康な状態に回復させる。悩みを解決する。痛みをとりのぞく…。しかし法蔵菩薩は、苦悩のまっただなかにある救いをもとめられました。それは、苦悩をかかえてしか生きられない凡夫のすがたを、その慈悲の眼のなかに見つめていたからでした。

  ながき思惟の時へてぞ
この願えらび取りませり
かさねてさらに誓うらく
わが名よひろく聞こえかし

五劫もの思惟のはてにたどりついた答えは、自らの名のりを届け、聞かせることでした。法蔵菩薩は、苦悩をかかえて生きるほかない凡夫の姿を、そのままに認め、抱きとらずにはおれませんでした。たとえその原因が煩悩だとしても、その愚かさごと抱かずにはおれませんでした。そしてただ、その苦悩のなかに、自らの名を届けようと誓われたのでした。
「わが名よひろく聞こえかし」 ご一緒にお念仏いただきましょう。泥のなかに咲く蓮華のように、すべてを抱いてやまない大悲の名のりが、いまここに届いています。

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