広島の浄土真宗本願寺派 栢原山龍仙寺/納骨堂(永代に渡ってお守りいたします)

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正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【23】

正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)【23】


得至蓮華蔵世界
即証真如法性身
遊煩悩林現神通
入生死薗示応化

蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)に至ることを得れば
すなはち真如法性(しんによほつしよう)の身(しん)を証(しよう)せしむと
煩悩(ぼんのう)の林に遊んで神通(じんづう)を現じ
生死(しようじ)の園(その)に入りて応化(おうげ)を示すといへり

(意訳)
蓮華(はちす)の国(くに)に 生まれては
真如(しんによ)のさとり ひらきてぞ
生死(しようじ)の園(その)に かえりきて
迷える人を すくうなり

【正信念仏偈23】~天親菩薩(てんじんぼさつ)の教え④~

「お仏壇にたのみをかけちゃあ、いけんよ」

最近あまり聞かれなくなりましたが、昔のかたは、このことだけは大事に子や孫へと伝えてくださったものです。わたしの願いを仏さまに聞いてもらうのではなく、仏さまの誓いをわたしが聞かせていただくのだよ。そこにこそ、まことのしあわせがあるのだから…と。
天親菩薩は、その阿弥陀さまの誓いの内容を、次のように明らかにしてくださいました。

蓮華(はちす)の国(くに)に 生まれては
真如(しんによ)のさとり ひらきてぞ
生死(しようじ)の園(その)に かえりきて
迷える人を すくうなり (正信偈、意訳)

煩悩具足の凡夫を浄土に生れさせて、仏のさとりを開かせよう。迷い世にあるすべての人々を救うことのできる身としよう。そのように、阿弥陀さまは誓われたのですね。つまり、凡夫を仏にしようと誓われたのです。
しかし、どうでしょうか。そもそも私たちのなかに、仏さまになれるような真実の心があるでしょうか。仏とは、自己中心的な心を完全に克服し、あらゆる煩悩を滅しつくしたかたを言います。ところが私たち凡夫は、煩悩の炎を滅するどころか、その炎に薪をくべつづけるような生き方をしているのではないでしょうか。煩悩を燃やしつづけて生きている凡夫が、阿弥陀さまのような限りなき慈悲の仏となるということは、どうしても、つじつまが合いません。『歎異鈔』にも浄土に生まれたものは「おもうがごとく衆生を利益する」身となるのだと説かれていますが、そもそも凡夫とは、誰かをすくうどころか、自分一人すら救えない身ではないでしょうか。いったい凡夫が仏となるということは、どういうことなのでしょうか。

「カエルの子はカエルよのう」

わたしの父の恩師であるT先生が仰っていた話です。あるとき、一人の住職さんがT先生に相談をもって来られたそうです。
「先生、私は息子が帰ってくるまでは…と思うて、お寺を守ってきたんです。ところが息子が、大学を卒業したら東京に行くと言いだしました。どうしても、言うことを聞いてくれんので、ほとほと困っとるんです。いったい、どうしたらええでょうか…」  先生は一言、その住職さんに仰いました。
「ほうか、子どもは親の言う通りにはならんよのう。親の通りになるんよ。
カエルの子は、カエルよのう・・」
これは、まことに言い得て妙ですが、きびしい一言ですね。T先生は、そういうあなたは親の言う通りに生きてきたのですか?と聞かれたのでしょう。しかし、続けて仰いました。
「じゃがのう、言う通りにならんいうて、その子を見捨てることが、あんたにできるかの?
言う通りにならんなら、ならんまんま待つ他ない。待つより他に、親の仕事はないよのう…」
親なればこそ、正しく生きてほしいと願い、親なればこそ、その子のいたらなさを誰よりも悲しむのでしょう。しかしまた、親なればこそ、言う通りにならない、そのいたらなさごと抱かずにおれないのではないか・・。「カエルの子は、カエルよのう…」というT先生の言葉には、『あなたもわたしもこのように、親の胸を痛めながらも、一方的に、親に抱かれてきたのですね…』という思いが込められていたのでしょう。

いのちのみ親である阿弥陀さまのみ心も、同じではないでしょうか。阿弥陀さまは、煩悩具足の凡夫をすくうと誓われました。しかし煩悩を起こしてもいいとは、決して仰っていません。むしろいのちのみ親なればこそ、煩悩を抱え、愛するものさえ傷つけざるをえないわたしの生き方を、誰よりもいたみ、悲しんでおられるのでしょう。しかしまた、いのちのみ親なればこそ、その愚かさごと、凡夫のすべてを抱かずにおれなかったのではないでしょうか。

お慈悲の道は一方通行。子どもの側からつじつまを合わせる話ではありません。親はわけもなく子が愛おしいのであり、子はただ一方的に、親に抱かれていくのです。私たち凡夫は、ただただ阿弥陀さまに抱かれていく他ないのですね。
しかし、一方的に抱かれた凡夫が、やがて必ず、一方的に抱く仏となるのです。やはりカエルの子は、カエルなのですから。
ともにお念仏、いただきましょう。凡夫が仏さまにならせていただく道があります。それは、いのちのみ親がいらっしゃるということなのです。

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